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馬場まり子展 藍画廊

欲する質を強化する作家はそれを求める自分がいるから、まあ見つかるしいずれ出会える。だがその感性を複線化してくれる作家は非常に稀で、私にとって馬場まり子はそんな作家のひとりだ。

彼女の作品を前にすると、もしかしたら私が見ているこのどうしようもない現実が、もっと複雑かつ豊かな仕方で時間と空間を輻輳しているのでは、という可能性を発見してにやけてしまう。でもちょっと怖い。

怖い理由は、題材のひとつひとつが画家の個人的な記憶、発想に基づいているからで、ひょっとしたら目の前の絵にのたうつ時間や空間が自分のそれと繋がって、なにかしらの生々しいものが行き交うのではないかと恐れるから。でもそれは嬉しくもある。

自分という現実に寄り添いながら、こんなにも自由になれる馬場を尊敬する。

また次回の展示を心待ちにしています。馬場さん、ありがとうございました。

http://igallery.sakura.ne.j…

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風景の復習 倉石信乃

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風景について思考するとなぜ躓くのか。なぜある型をなぞるような言説遂行の道 筋を択ぶことになるのか。そう自問するようになった。端的に言えば、もはや風景 という言葉を捨てよと気がつけば自らに命じている。しかし、風景論を通じてなけ なしの世界認識を育てられた経験が私にはあった。いまなお、風景写真に分類され るであろうあれこれを見て、好悪や快不快、さらには正否の判断へと、嫌々ながら にせよ習慣的な身振りもろとも思考は歩みを開始してしまう。こうして、とうが 立った風景論はまたもやその都度反復される。 ここで言っている風景論とは、風景批判の謂に他ならない。批判の一つは主に認 識論的批判というべきものであった。 《風景がいったん成立すると、その起源は忘れさられる。それは、はじめから外的 に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物なるものは、むしろ風景のな…

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